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T's Columns

多少過激なコラム書き殴り

歴史は必然の連続

日本がロシアを破ってからというもの、世界の日本に対する評価は2分された。ロシアに侵略され虐げられていた北欧3国、ユダヤ人や白人種に虐げられていた有色人種は喝采を送った。一方有色人種を征服し植民地として奴隷化していた白人種は恐れおののいた。特に遅れてきた侵略国アメリカは支那大陸を狙っていたために将来日本が邪魔になると考えた。切っ掛けは満州鉄道への資本参加を熱望していたアメリカの鉄道王ハリマンとの協定を日本が突然破棄したことだった。アメリカは日本が支那大陸から自分たちを閉め出す考えだと邪推したのだ。

日露戦争終結直後にアメリカは対日戦争計画を立案し始めた。日本の研究をし始めたのである。日本はあくまで大陸の脅威にしか注意を払わなかった。アメリカが日本を仮想敵国にしていたなどとは考えもしなかったのだ。つまりアメリカの支那大陸への野心に注意を払わなかった。

日露戦争は1905年(明治38年)の出来事だ。翌年からアメリカは対日戦略を練り始めている。日露戦争のための国債を大量に購入して日本に貢献し、世界一周鉄道を夢見て満州鉄道への資本参加を熱望していたハリマンを裏切った結果が最悪の計画を進めさせることになったと言えよう。

支那大陸は白人種が分割統治する暗黙の了解が取れていた。当時はフランス、ドイツ、イギリスそしてロシアが利権を分割していた。そこへ有色人種である日本人が割り込んできた。白人種はそう考えたのだ。唯一残っていた満州には日本が居座っていた。特に遅れてきたアメリカは割り込む隙がなくなったと感じた。しかも人種差別撤廃を国是とする日本が主導権を握っているのだ。日本をどうにかして追い出さなければアメリカの利権は手に入らない。日露戦争は白人種優位の世界観を一変させた。日本の戦勝以降白人種の植民地は増えていないのだ。有色人種は容易に白人種に頭を下げなくなったのである。

白人種はアメリカの意図を汲んで深慮遠謀を画する。手始めに日本に極貧国朝鮮を押しつけた。日韓併合は単に日本と朝鮮の問題ではない。国際的に認められなければ成立するものではないのだ。

日韓併合伊藤博文暗殺が切っ掛けだが、アメリカやイギリスが朝鮮は日本のものだとお墨付きを出したことが大きくものを言っている。白人種は日本に日韓併合を仕向けたのである。伊藤の暗殺も単純に安重根の単独犯かどうか疑わしいのだ。伊藤は何しろ併合には大反対だったからである。朝鮮を保護国として独立を助けるのが伊藤の考えだった。それを朝鮮人が暗殺して何の得があるというのだ。結局伊藤が暗殺されて併合反対者はいなくなった。朝鮮もロシアを破った日本を恐れて震え上がった。安重根をすぐに死刑にして併合を朝鮮から願い出たほどだった。

伊藤が思っていた通り朝鮮併合には莫大な金が必要だった。何しろ世界一極貧の国だったからだ。病院も学校も道路も下水道もダムも何もかも無かった。仕方なく日本は日本の血税をつぎ込んで朝鮮を近代化する羽目になった。全く今考えても無駄なことをさせられたものだ。しかも朝鮮は感謝どころか恨んでいると云う。正に白人種の思うつぼだった訳だ。

 次がアメリカ本国からの締め出しだ。19世紀半ばのゴールドラッシュの頃、アメリカは支那人を拉致して黒人の代わりに奴隷としてこき使った。移民が盛んになってからは支那人の苦力は土地を買うものも出て来て成功していった。それを恨んだアメリカ人が支那人村を襲って虐殺する事が横行した。人種差別主義者のアメリカ人はインディアンを虐殺したのと同じ事をしたのだ。当時の清国は出国した移民に対しては冷酷だったので支那人たちは無惨に殺されていった。アメリカは1902年に支那人移民を禁止する法律を成立させている。

支那人の代わりにハワイ経由で移民したのが日本人だった。日本人は支那人とは違った勤勉さで瞬く間に土地を手にして成功していった。日露戦争後アメリカでは排日運動が盛んになり1920年にはカリフォルニア州で排日土地法が成立、更に1924年に日本移民を禁止する目的で排日移民法が成立した。

この間日本は日英同盟に従って第1次大戦に参戦することになったが、英国の再三の参戦要求に日本政府はなかなか応じなかった。同盟の範囲がインドまでとなっていたのでヨーロッパ戦線への参戦には慎重だったのだ。しかしイギリスの商船が次々に撃沈されるに至って仕方なく海軍は地中海へ、陸軍は青島や南洋諸島のドイツ領を占領するに留まった。

日本がぐずぐずしている間に同盟国でもなかったアメリカは軍艦141隻を派遣し、陸軍をヨーロッパに送った。アメリカは大量の戦死者を出しながら連合軍を勝利に導いた。アメリカはヨーロッパ諸国に多大な恩を売ったのだ。

第1次世界大戦後はアメリカ、イギリス、フランスと日本の4カ国が列強となった。アメリカの策謀第2幕は第1次大戦後のパリ平和会議に日本を牽制するために蒋介石政府の発言を認めることだった。図に乗った蒋介石は日本との条約をことごとく無視する発言と行動を繰り返し、アメリカがそれを支持する図式が出来上がった。

支那大陸では宣教師を使って日本製品のボイコットを扇動し、アメリカ製品を売り込む宣伝を行った。この時に支那大陸には日本悪者イメージが植え付けられたのだ。反日運動の主犯はアメリカなのである。

支那大陸で日本人を襲う暴動が頻発し、土地を追われる日本人も多数出るようになった。そのため日本政府は満州での日本人居留民の権益を確保するために21か条の要求を行った。日本人居留民の生命と財産を守るために行った当然の行為だったのである。アメリカはそれを徹底的に批判した。今でもこの21か条要求が日本の支那大陸での侵略の証拠のように宣伝されているのだ。

第1次大戦後のパリ平和会議で国際連盟の設立が提案された時に、日本は人種差別廃止条項を盛り込む提案をした。しかしこの考えはアジア・アフリカに植民地を持つ白人種にとっては危険思想以外のなにものでもなかった。アメリカの代表ウィルソンは強引にこの提案を葬った。アメリカの排日運動は激化した。

アメリカの策謀第3幕は日英同盟の解消だった。アメリカは巧妙にイギリスに日英同盟を発展解消するよう働きかけた。1921年ワシントン会議でアメリカ、イギリス、フランス、日本の4カ国協定が成立した。奇跡的だった日英同盟はここに解消され、純情な日本人は白人種が平和を求めていると信じた。全権大使幣原喜重郎の軽率な判断であったと謂われている。

1924年排日移民法成立。この時から日系移民は存在を否定された。すでに帰化していた権利まで剥奪するという暴挙であった。一方日本国内では日本型民主主義が定着していた。普通選挙法が成立したのが1925年、軍縮を実行し脱帝国主義を押し進めたのもこの時代である。大正デモクラシーがこの時代の呼び名だ。

しかし1929年世界恐慌が起きると世界は混乱を極めた。その切っ掛けを作ったのがアメリカの保護貿易政策だった。ホーリストーム法という高率関税法に依ってアメリカ市場が事実上閉ざされ世界的恐慌が吹き荒れる事になったのである。

植民地を持つ白人種諸国も保護貿易政策に走った。イギリスがその典型である。しかし貿易に頼っている日本や、第1次大戦で植民地を失ったドイツにとっては他国の保護貿易政策は死活問題となった。ここに持てる国と持たざる国との対立が生じたのだ。

その結果がドイツではナチスの台頭、日本では昭和維新と称する国家社会主義の台頭である。ナチスも正式名は国家社会主義ドイツ労働者党なのだ。その思想は貧富の差の絶滅である。つまり私有財産の否定だ。

ドイツでは富裕層から私財を剥奪する運動が起こった。当時のドイツでの富裕層とはユダヤ人たちであった。キリスト教徒が大半のドイツではユダヤ人を迫害する事はそれまでもやっていた事だ。しかし国家的にユダヤ人迫害をした事の真意は国家社会主義にあるのだ。

日本では富裕層とは財閥のことであった。だから5.15や2.26事件では財閥の代表者や財閥と結託していると目されていた政治家が暗殺されたのだ。