T's Columns

多少過激なコラム書き殴り

教育の重要性

2001年にJR新大久保駅でホームから落ちた男性を救おうとして死亡した韓国人留学生、李秀賢さん=当時(26)=の父で日韓交流に関わる李盛大さん(75)に旭日双光章が贈られ、韓国南部の釜山で16日、授与式が行われた。盛大さんは「日韓をつなぐことに力を尽くしたい」と生前話していた秀賢さんの遺志を継ごうと、見舞金や弔慰金を基に事故の翌年、秀賢さんのイニシャルを とった「エルエスエイチアジア奨学会」を設立。これまで日本で学ぶ18カ国・地域の計689人の留学生に奨学金を送り支援してきた。松井貞夫駐釜山総領事から勲章を胸に着けられた盛大さんは「秀賢の行為に多くの日本の人が感動を受け送ってくれたお金で奨学会ができた。この勲章は本当はそうした日本の方々のものだと思っている」と話した。

6/17 産経ニュースより

 朝鮮人の価値観は損得というのが一般的だが、李秀賢さんの行為は損得を越えている。彼の他にもこうした犠牲的行為をした韓国人がたくさんいる。朝鮮の歴史にも日本人に近い価値観を持った朝鮮人は多く存在した。しかしそうした人々は李朝時代には抹殺されてきたのだ。盛大さんの家庭教育は立派なものだったのだろうことは想像に難くない。

嘘をつかない、盗まない、騙さない、他人を助ける、などの行為は個人的な道徳心がなければできない。道徳心は生まれながらに備わっているものではない。道徳心は教育でしか育たないものだ。個人の権利を強調して教育をすればするほど利己的になるのは当たり前のことだ。また義務ばかりを強調しては積極的な個性は生まれないし、盲目的で従順な、個性を無くした奴隷のようになってしまうだけだ。

道徳は社会的なルールとも言えるが、道徳だけを教えては従順な人間を生むだけで、より有用な個性は生まれない。戦前の日本教育は道徳を教える前に「身の処し方」を教えた。どういう人間になるのが良いのかを教えたのだ。それが「修身」である。

アメリカ占領軍は日本人の犠牲的公徳心や恐れを知らぬ戦闘力は、教育が根本にあったためだと研究して知っていた。そこで「修身」を教えることを禁止したのだ。表向きは「教育勅語」を衆議院で排除決定するよう占領軍が強制し、新たに教育基本法が制定された。

教育勅語」や「修身」がどういうものであったかを現代の日本人は知らずにいる。しかし「修身」は日本人ならだれでもその良さが解る価値観に溢れている。

明治維新後、日本には西洋文化が怒濤のように押し寄せた。その中で日本文化を忘れ西洋文化にかぶれる日本人が増えた。四民平等が実現したために自由民権思想も蔓延した。度が過ぎて自分勝手な行動をする日本人が増えた。身分制度があった時代から自由な気風が生まれたからだ。高等教育では英米の教科書を訳したものが用いられたため、学問が立身出世のためという功利的な面が強調され、道徳的な教育が軽んじられたのだ。

明治19年、明治天皇帝国大学行幸し実態を見聞のうえ懸念を表した。そして明治23年に地方長官会議で6県知事から国家的に徳育をすすめるよう建議がなされた。そこで国民に日本の伝統文化や価値観をきちんと教えることが検討されることになった。しかし個人の思想信条に国家が介入することは大日本帝国憲法でも禁じていたので、事は慎重を要した。

最初の草案は帝大教授・啓蒙思想家でキリスト教徒でもあった中村正直が当たった。しかし天・神などの宗教的概念やキリスト教的哲学理論による道徳の性格が強かったために、多くの問題点が指摘され廃案となった。代わって法制局長官だった井上毅が起草することになった。井上は特に以下のような点に留意したという。

君主は臣民の心の自由に干渉しない
敬天尊神などの語を避ける
哲学理論は反対論を呼ぶので避ける
政事上の臭味を避ける
漢学の口吻と洋学の気習とも吐露しない
君主の訓戒は汪々として大海の水の如く
ある宗旨が喜んだり、ある宗旨が怒ったりしないもの

つまり天皇からの強制性を避け、哲学的な事や政治色は避けて、宗教色も廃するものにするということである。戦後蔓延している「教育勅語」の押しつけなどということは、最初からしないように配慮していたのだ。

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教育勅語」の現代語訳

明治23年10月に「教育勅語」が発せられると日本国中はもちろん、外国からも高い評価を受けることになった。教育勅語に則って「身の振り方」を指導する「修身」が作られ徳育教育に用いられた。ちなみに前年の明治22年に大日本帝国憲法は発布されている。