T's Columns

多少過激なコラム書き殴り

西暦の何たるか

戦後の日本弱体化教育の結果、日本的なものを非として社会主義者や反日主義者などはあえて元号を使わず、西暦でしか暦を表さないようになり、その影響で漠然とそれが正しいことのように思っている愚か者が増えた。先の戦争を大東亜戦争と云わず太平洋戦争と云っているのと同じ動機だ。あえて皇紀を使う必要はないがそれすら知らない輩も多い。ゼロ戦の名前は知っていてもそれが皇紀にちなんでいると知るものがどれほどいるか。今上天皇が何代目かを知るものも少ないのが今の日本の病理と言える。なぜなら天皇は現憲法下でも国民統合の象徴とされているのに、その天皇が何代続いているのかさえ教えないのは正常ではないのだ。

西暦は使っている民族や国家が多いので便宜的に使うことは必要かも知れない。日本の元号は天皇在位年数しか表さないからだ。大正生まれの人が平成の御代に何歳か計算するのはすぐにはできないだろう。しかし西暦なら引き算をすれば良いから簡単だ。そういう便宜的な利用なら仕方がない。

そもそも西暦の何たるかを知っているのか?

西暦は日本で使う理由など便宜的なこと以外、何一つないのだ。なぜなら西暦とはイエス・キリストが生まれてから何年経ったかを表す意味しかないからだ。キリスト教徒なら、あるいはキリスト教国なら重要な意味がある。しかし日本はキリスト教国でもなければキリスト教徒が大半を占める国でもない。世界の先進国でキリスト教徒が極端に少ない希な国だ。そんな国が西暦にこだわる理由など皆無だ。

ユダヤ教徒はユダヤ暦を使う。イスラム教徒はイスラム暦を使う。これは当然のことだ。西暦を使うのはキリスト教徒だ。キリスト教徒は世界で30億人に及ぶという。だから便宜的にユダヤ教徒もイスラム教徒も西暦を使うことはある。

日本は皇紀で云えば今年2672年である。神武天皇が初代天皇として即位した年を紀元前660年と定めたからだ。別に歴史上の事実である必要などない。キリストの誕生も歴史的事実かどうかなど西暦を使う上では何の関係もないだろう。そう決めたからそうあるのだ。ユダヤ歴も今年は5772年だが、旧約聖書の創世記にある天地創造を紀元前3760年のことと定めたからだ。これが事実である訳はないがそれで良いのだ。そう決めたことに意味があるからだ。

民族の歴史はいかに語り続けるかで意味を持つようになる。自分たちがどんな民族で、自分たちにとって何が大事かを知ることは、自分たちがどのように生きるべきかを知ることに繋がる。そうでなければ自分たちが何をすれば良いのかさえ判らない流浪の民になってしまうのだ。

現代の日本人は自分たちの民族としての起源や生きてきた意味をすっかり忘れ去っている。キリスト教徒でもないのに西暦しか使わないような国籍不明の流浪の民になっているのだ。

ちなみに日曜日や土曜日が休みになった謂われを知っているか?

日本人にとって日曜や土曜を休みにする理由など本来はないのだ。江戸時代までの日本人の休みは盆と正月しかなかった。日本人にとって仕事とは喜びであり生きがいだったのだ。今でもそうである。ところが週に5日しか仕事をしない西洋人達は仕事を苦役としか思っていない。なぜなら仕事は神から与えられた罰でしかないからだ。旧約聖書にある「エデンの園」の話を信じているからだ。だから仕事を生きがいにはしない。生きがいはボランティアや趣味に求める。一日も早く引退することがエリートの目的だ。そのためにがむしゃらに金儲けに走る。だから若くして起業する者も成功すればすぐに株を売って別のことをする。会社や社員を育てることなど考えないのが西洋人(特にキリスト教徒)の習性なのだ。

日本で老舗が多いのは仕事を生きがいにし、仕事を通じて世のため人のためになることを善としてきた日本人特有の考えがあるからだ。こういうことを世界が学びだしている。日本人的美徳は今や世界に通用するどころか、世界に必要な美徳になりつつあるのだ。

我々が何者なのかは国史を学ばなければ解るものではない。

ちなみに日曜日が休みなのは旧約聖書の創世記に、創造主が全てものを創造した後休んだのが7日めだったと書いてあるからなのだ。土曜日を休みにしたのはユダヤ教徒の安息日で仕事を一切してはいけない日だからだ。アメリカではユダヤ人の習慣を無視できなかったからである。

こういうことも知らずにいる君はいったいどこの国の人だ。