T's Columns

多少過激なコラム書き殴り

日米戦争はフィクション?

どのくらい前からなのか知らないが、日本とアメリカが戦争をしたことを知らない子供がいるようになったという。日米戦争は架空小説かアニメの世界の出来事になっているようだ。

素直に歴史を年代に従って調べてみれば、明治維新から大東亜戦争までは、一連の日本対白人種との戦争の歴史だったことが解る。支那大陸での戦争は清朝が滅んだ後の政権争いや白人種の植民地争いに日本が巻き込まれたものであることも解る。

アメリカに負けてからは全て日本の責任にされてしまったので、正しい歴史的事実が見えなくなってしまった。だから日米戦争の話も教えなくなり、忘れられているということなのだろう。

日教組は対米戦争は教えなくても毛沢東の捏造した日中戦争は嬉々として教える。日本が中国に侵略戦争を仕掛けて負けたというフィクションをである。捏造した歴史を教えられて日本の子供達は祖国が嫌いになる。先祖を恨むようになり、無気力な人間になってしまうか、刹那的に生きるようになる。日教組こそ戦後の日本を共産中国の精神的奴隷にしてきた売国奴たちなのだ。

これを煽り、洗脳し、お墨付きを与えたのが朝日新聞や毎日新聞などの左翼マスコミだ。平成の世でもせっせと共産中国のご機嫌取りをして日本人を共産中国の奴隷にしようとしている。朝鮮人や中国人の犯罪はできるだけ隠し、朝鮮人の場合などは彼らが使用する通名(日本名)で報道する。

北朝鮮の拉致事件金正日が白状するまで無かったかのように一切報道しなかった。忘れてはならない。朝日や毎日、テレ朝、TBSが拉致事件を報道するようになったのは金正日が白状してからなのだ。こういう新聞やテレビを観ている日本人は自分たちのことを貶める報道しか目にしないことに気がつくべきだろう。

戦後の日本人の中には共産主義を礼賛する勢力が出現して、毛沢東の捏造史を広めるために世論を扇動した。敗戦の責任を感じていた生き残り世代がそれを黙認することで次第に正当化されていった。教条主義に陥った共産主義かぶれは、史実が明らかになっても修正すらできない思想奴隷に成り下がっていったのだ。

 アメリカは今でこそ自由で差別のない国のような顔をしているが、ほんの150年ほど前までは黒人奴隷を酷使していた。1862年に奴隷解放宣言が出されたものの、1964年に公民権法が制定されてやっと法律的な差別がなくなったのだ。しかし実際には未だに差別は歴然としている。

日本が日露戦争に勝利した1905年頃のアメリカという国は、法律で人種差別をしていた国だった。南アフリカの人種隔離政策(アパルトヘイト)は有名だが、アメリカの方が先に人種隔離政策をしていたのだ。

自分たちが忌み嫌っていた有色人種が歴史上初めて白人種に勝った戦争が日露戦争だった。アメリカの白人たちは嫌悪感を持った。黄色い猿が世界を征服するかもしれないと本気で恐れたのだ。日本人にはとうてい分からない感情だ。

ちなみに映画「猿の惑星」の猿は日本人がモデルなのだ。作者は「戦場にかける橋」でも有名なフランス人ピエール・ブールだ。白人たちの優越感はまったくもって鼻持ちならない根拠のない妄想だが始末が悪い感情なのである。

そんなアメリカは南北戦争後、ヨーロッパ白人社会に遅れて植民地確保に乗り出した。向かった場所は支那大陸だった。日本に開港を迫ったのも補給地としてのことだったが、これが日本人を目覚めさせることになった。

アメリカはまず太平洋の真ん中にあるハワイを手に入れようとする。やり方は巧妙でアメリカ人がハワイ王国に投資をして土地を手に入れ、勢力が整ったところで王国を転覆させる革命を起こした。明治政府は王党派の要請もあって東郷平八郎率いる艦隊を派遣して革命勢力を牽制している。しかし経済的に支配されてしまったハワイ王国は革命勢力に牛耳られるようになり、ハワイ共和国が成立した。初代大統領は革命の首謀者で法律家のサンフォード・ドールで、パイナップル王で有名なジェームズ・ドールの従兄である。共和国憲法は東洋人の市民権も選挙権も認めない人種差別憲法だった。

アメリカは1898年(明治31年)ハワイ共和国を併合し、ハワイ王国は完全に滅亡した。

太平洋のど真ん中に拠点を構えたアメリカは満州に目を付けていた。日露戦争で日本に権益が移った満州鉄道経営に参画するべく、鉄道王ハリマンは桂太郎井上馨など日本の政界・財閥と交渉して共同経営の仮協定まで結んでいたが、戦後処理に苦労した外相小村寿太郎が帰国後これに猛反対して潰してしまう。

一方的な協定破棄にハリマンは激怒したという。ハリマンはユダヤ系アメリカ人のヤコブ・シフと共に日露戦争時の日本の外債を一人で1000万円も購入したり、戦後は1億円という援助金も用意していた。1億円といえば当時の国費の3/1にも当たる巨費である。ハリマンの夢は世界一周鉄道の実現だったという。ハリマンはアメリカの議会に日本の違約を訴えた。アメリカ政府は日本が満州からアメリカを閉め出そうとしていると邪推した。これが排日運動のきっかけになったのである。

ルーズベルト大統領は対日戦争計画を実行するため、ハワイに太平洋艦隊を配備することを急いだ。国内では排日移民法を整備し、支那大陸では蒋介石の国民政府軍を支援して日本を大陸から閉め出そうと画策したのだ。

第1次世界大戦後の日本は一層国際的な地位を高めて、アメリカにとっては益々目障りな存在になっていった。特に日華条約で日本の支那大陸での利権確保が明確になって以後は、日本の政策や行動を全く認めない不承認主義を取って非難を続け、公然と支那支援を表明するようになった。日本と蒋介石軍との戦闘は正式な戦争ではなく事変だったことがアメリカの支援を可能にした。日本としても石油や鉄鋼の輸入をアメリカに頼っていたので、アメリカと戦争することは避けていたのだ。

ところが満州事変以後日本が満州での影響力を高めると、アメリカは日本に対して経済制裁を加えるようになった。アメリカ国内の日系人の資産凍結をはじめ、鉄鋼を禁輸品にして、とどめが石油の禁輸だった。

石油を止められて日本はイギリスとアメリカに対して宣戦布告を決意、外交は粘り強く続けていたが、アメリカのハルノートを最後通告と考えて、ハワイの太平洋艦隊を急襲、インドシナ・シンガポールへ石油を求めて出撃した。しかし日露戦争当時と比べて陸軍と海軍の歩調は合わず、当初負け知らずの陸軍も戦線を拡大しすぎて補給ができず、海軍もミッドウェーで大敗を喫して戦力を失っていった。

アメリカは30年も研究してきた対日戦争計画に則って、最初から非戦闘員を空爆で殺傷するという戦争犯罪を繰り返し、日本本土は250か所以上もの都市が爆撃されたあげく、歴史上初の原爆人体実験の的となって敗戦せざるを得なかった。

日本を7年間も占領したアメリカは、自分たちの戦争犯罪を隠ぺいするために、極東軍事裁判という茶番で戦争責任を日本に押し付けた。日本がアジアの植民地解放という大義を掲げた大東亜戦争という呼称も使用を禁止して、太平洋戦争と言い換えるように強制した。

共産中国も建国の正当性を日本の侵略という歴史捏造に頼ったために、アメリカの歴史隠蔽に乗じたのだ。これらを嬉々として広めたのが日本の共産主義者たちだったのである。